夕陽がエモいわけ。

 

 

皆さま、お疲れ様です。日チル会ブログです。
夕陽を観てチルしていますか?

さて、今回は「夕陽がエモいわけ」と題しまして、どうして夕陽がエモいのか?
(ここでは、感情を動かす。なんともいえない感情。説明しがたい感慨。という意味で使用します) についてお話をしたいと思います。

 

夕陽や夕焼け空の景色はいつ観ても綺麗ですね。

ですが、この夕陽や夕焼け空という景色そのものには意味はないのです。
ただそこに存在をしているだけ。自然があるだけです。

それが美しても、醜くても。 そんなのは景色の勝手。
もしも地球上からある日突然、全人類が居なくなったとしても、その風景は変わらずそこに意味もなくあるだけです。

 

――ただそこにある自然の景色。本来は意味を持たない自然の景色。

我々はそれを観ては様々な感情を抱いたり、感情が動かされたりします。

一般的に、夕陽や夕焼け空を眺めて持つ感情としてあげられるのは、
「なんとなく切ない気持ち」
「どことなく淋しい想い」 ではないでしょうか。

夕陽や夕焼け空から得られるこの感情を簡単に一言で表現をするならば、
「郷愁(きょうしゅう)」 がピタリとはまります。

※郷愁とは、他郷にあって故郷を懐かしく思う気持ち。ノスタルジア。 過去のものや遠い昔などにひかれる気持ち

 

実際、夕陽を眺めていると「なぜか懐かしい」と思えてくることがありますね。
このなぜか湧き上がってくる郷愁。これは一体どこからくるのでしょうか?

そのヒントは我々人類の営みについて大昔まで遡ることでみえてきます。
太古の人の営みについて想像をしてみます。

大体のイメージとしては「はじめ人間 ギャートルズ」の感じが最適でしょう。

 

ギャートルズというとこんなマンガ肉が有名ですが、元祖である漫画版ギャートルズでは骨が両側から出ているタイプではなく、片側から出ているタイプだったとか。

 

当時の人の暮らしは、テレビもねえ。ラジオもねえ。車もそれほど走ってねえ。どころの話ではなく、シンプルに自然とともに生きる、そして生かされる生活。
時計はもちろん有りませんし、時間という概念すらなかったかもしれません。
ですから、陽が昇って一日が始まり、陽が降りて一日が終わる。 そんな日々を繰り返していたことでしょう。

 

――陽が昇って一日が始まり、陽が降りて一日が終わる。

現代では人口的な灯がそこらじゅうに沢山あって夜も明るいですが、当時は陽がなくなればそこは暗く闇の世界となります。辺り一面真っ暗。そうなると見えないものへの怖さが出てくる。
加えて陽がなくなると冷えて寒くもなるわけですから、人の生存本能を脅かす、死を連想させる怖ろしい恐怖の世界が始まります。

現代人が当たり前のように知識として持っている、地球が自転をしていること、地球が太陽の周りを公転していること、などは知る由もありません。
宇宙やその概念も当然ないわけですから当時の人にしてみれば、
西の空に沈んだ太陽がまた明日、東の空から昇る保証はもちろんないわけです。
そうなると、この死や恐怖の世界から抜け出し終わらせるためには、また太陽が昇り、姿を現すことをひたすらに望み祈る他ありません。

 

こうして太古の人の暮らしに想いを寄せてみると、当時を生きていた人々が太陽に抱いた想いというのは、現代人のそれよりも強烈で、生きるという意味ではとても依存的なものであったことが推測できます。
実際、洋の東西を問わず様々な古代宗教には太陽信仰がみられますし、また様々な神話にも太陽神が登場するのはその証拠といえます。

 

インド神話に伝わる太陽神 スーリヤ。

 

太陽に全てを委ねていた。全ては太陽によってもたらされる。
つまり陽が沈むということは当時の人にとって、不安や寂しさ。恐怖や絶望。今日という一日が終わるだけでなく、もしかするとこの世界が終わるのではないかという喪失感まで。様々な想いが含まれていた。
また一方では、沈む陽を観ては本当に来るかもわからない不確かな明日への期待や、一片の希望も抱いていたかもしれません。

それらの想いは太古から繰り返し繰り返し人々の心へインプットをしてきたわけで、現代を生きる我々にも集合的無意識として同じように備わっているものです。

蛇が毒を持っていることをまだ知識として持ってはいない幼児でも蛇を見たら「怖い!」と本能で感じるのと同じで、夕陽や夕焼け空を観ると集合的無意識にある先天的な記憶として様々な想いが湧き上がってくる。
その中には郷愁があったり、寂しさや不安、懐かしさ。またその逆に明日への期待などもある。だから我々は夕陽や夕焼け空を眺めるその度に感情が動かされたりするわけなのですね。
夕陽がエモい。その源流はここにあります。

 

その意味で、夕陽を観てチルアウトするというのは、簡単にできる原始的な体験といえます。
夕陽を眺めて自然とコミュニケーションを図る。そのような原始的体験は忙しなく日々を過ごしている我々現代人にこそ必要なものではないでしょうか。
そんなわけですからたまにはじっくりと夕陽を眺めてチルアウトする時間を持ってはみませんか?
それはきっと、
ここ最近すっかり忘れていた自然から得られる感動や、心に不足していた自然から得られる栄養を満たす素晴らしい体験になるはずです。

 

最後に。
ちなみに前述した はじめ人間 ギャートルズですが、
初代アニメの最終回「やつらの足音が聞こえた!」の巻のエンディングでは、でっかい夕陽の描写が登場します。この回、ストーリー的にも素晴らしい回です。ぜひご覧あれ。

 

エンディングイメージ画像。夕陽を観るギャートルズの面々。

 

 それでは皆さま、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

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